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2017年11月28日

祝嶺森

盛一郎です。

トゥシビー祝いの事後処理もほとんど終わり、年末も近づいてきたので、スマホの中身も整理していると、以前写メって「後で、ブログネタにつっかおー!」と思って、すっかり忘れていたのを、いくつか見つけました。それが、これ!

祝嶺森

祝嶺森と旧校舎です。旧校舎といっても、我々には一番沖尚らしい校舎かと思います。これ見ると、「あー学校、辞めてー!」と思いながら、あの窓から遠くをみてたなぁ…っと思い出しました(笑)。今振り返って思えば、辞めなくて良かったですシーサーオス

校歌にも出てくる『祝嶺森』も、こんなにも元気一杯に生い茂っていたんですね…

うん?これ見てちょっと考えました。この感じ、どっかで見た事ある様な…

あっ、首里城っぽくね!?

祝嶺森


「まーがよ!言い過ぎだろー!」っとすぐさま、突っ込みが返ってきそうなんですが、いや外観とか規模じゃなく…おっと、琉球歴史マニアの賀数 仁然が同期にいるのに、テキトーな事を語る事は出来ませんよーシーサーオス!でも、ブラひとさに参加してくれた人は、俺の言う事に少しは共感してくれるんじゃないかなー!?首里城がどうしてあそこにあって、どんな意味があるのか…気になる方は、ひとさ君のツアーに申し込んで下さいねニコニコ

このネタを写メって豊平 美奈子(文二)先生と打ち合わせ終了後、自分の直感を裏付けるために、ある場所…というかモノを探しに唯一、学校裏に残されている『祝嶺森』を散策してきました。

祝嶺森


今じゃ祝嶺森は住宅だらけで、森らしいところは学校の裏庭みたいになっている様ですが…
あっ、あった!
祝嶺森


おそらく、俺らが生れる前からここにいるガジュマルです。ご存知の通り、沖縄では要所と言われる場所には、必ずこの木がいます。そして信仰的な存在として、皆に愛されています。自分がいた小学校は、校庭にあったガジュマルを道路拡張のために切り倒すと行政が決めたら、地域住民の反対運動があって、凄いお金をかけて学校の中庭に移設したと聞きました。それだけみんなの、精神的支柱な存在です。
「どんなに校舎が建て変わって時代が流れても、やはりこいつだけは残されていたか…正解!」っと妙な納得をしながら、わずかな祝嶺森を散策してました。…あっ、だからどうしてガジュマルがあったら、沖尚が首里城っぽいのさーって話でしたね。それは…やっぱり、ひとさ君のツアーに参加して感じて下さい(笑)!



わずかな古(いにしえ)の空間を堪能した後、その先を歩いていくと、見覚えある…っていうか体の感覚が覚えている場所…あっ学校の裏にあった、お墓から入る入口だ!

祝嶺森


俺らの時は、雨が降るとドロドロになって滑ってた坂も、今はちゃんと階段になって手すりまで設けられているんだね~おすましここでも、時の流れを感じました。でも、体は正直です!ここに立つと、あの先生の声が脳裏をよぎって、後ろから聞こえてきた様な感覚になり、ちょっと背筋が伸びました。

こらっ!盛一郎!!

授業始まっているのに、どこ行くー!?

今も昔も、あなたは俺に気合を入れてくれてます(笑)!ありがとうございますシーサーオス!!

祝嶺森


盛一郎


追伸 沖尚3期Tシャツ、12月4日(月)に申込〆切ですよ~まだの人、お忘れなく!


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Posted by しきなーんちゅ at 06:51│Comments(0)母校沖縄のはなし
 
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